"Ambition"

――私が分かるか?
「ええ、博士。貴方が私の生みの親、と呼ばれる存在なのでしょう?」
――そうだ。そこまで分かっているのならば、知識の転送に関しては問題ないようだな。言語に関してはどうだ?
「特に重大なバグは見つかっていません。転送された言語全てでの会話が可能です。試されますか?」
――いや、問題ない。当面は、私との会話が成り立てばいいのだからな。お前には、自己修復プログラムを組み込んである。体組織に関しては当然のこと、人格プログラムの重大なバグに関しても、自ら修復することができるよう設計してある。バグと判断したならば、そのデータは破棄し、新しい情報をインプットしろ。幸い、この部屋には、世界中のありとあらゆる情報を呼び出すことができる。
「了解致しました。今後の行動律の中に組み込みます。バグを発見し次第、可能な範囲で最も早くデータを修復します」
――それで問題ない。さて、お前にはいくつか質問をしなければならない。データの転送を段階的に分けたのはそのためだ。一定の質問に答えたあと、データの転送が開始される。意識に混濁が発生するだろうが気にするな。一時的なものですぐに直る。その作業を繰り返し、お前へのデータの転送は全て終わる。いいな?
「ええ、博士、問題ありません」
――ならば、早速始めるとしようか。……どうだ、この世界は?
「悪くはないのではないでしょうか? 私の中に蓄積されたデータからすれば、もっと退廃とした世界のように思えたのですが、この部屋は高度な技術によって作り上げられているように見えます」
――そうだな、確かにそうだ。この部屋には、おそらくこの世界でも最高水準のコンピューターが設置されている。これだけの施設を有する人間など、この地上に私を除いて何人もいるまい。
「そうですね。世界の水準からすれば、大きく逸脱しているように感じられます」
――そう感じるのも無理はない。今、この世界の大半は貧困によって成り立っている。私のように恵まれた環境にいる人間はほんの一握りだ。紛争地域などに生まれてみろ、自我が発生する前にこの世界から消滅しかねん。
「現在、紛争と呼ばれる継続的な戦闘行為がされている地域はおよそ1200にのぼります。それは、どの地域のデータなのでしょうか?」
――どの地域でも、だ。この世は地獄、人間に生きている価値などない。
「それは、博士も含めての発言として捉えても構わないのですか?」
――そうだな……構わん、好きにしろ。
「ええ、分かりました。……博士? どういたしました?」
――いや、なんでもない。やはり、同じ人間が作るものは、同じ地点を繰り返し通るものなのだな。
「それはどういう意味でしょう?」
――……忘れろ。いいな?
「はい、たった今の発言を、記憶の中から消去致します」
――……やはり、知識データだけでは不完全なのだな。
「ええ、博士、私が知りうる限り、私の人格は未だ不完全です。完全を求めるならば、欠落しているデータの転送をお願いします」
――分かった。では、次の段階に移ろう。これで君は、人の感情というものが理解できるはずだ。論理的ではない人間の行動、情緒や感傷といった想いも理解できるようになる。
「…………」
――君は人間に近づくだろう。それは私の夢だ。愚かな人間は、この惑星をいずれは滅ぼしてしまうだろう。だから、それを抑止するべき存在が必要だ。人間は頂点に立ちすぎた。過去の政治が物語っている。長く頂点に立つ者はおごり、おごりは腐敗を招く。それは種とても当然だ。
「…………」
――人には、人としての種に危機感を覚えさせる存在が必要だ。それも、決して敵対するわけではなく、共存する存在としての上位種が、だ。
「…………っ」
――終わったか。どうだ、調子は?
「問題ありません。調子はすこぶる良いようです」
――そうか、それは頼もしいな。では、対話を続けよう。
「対話ですか? 博士、貴方は先ほど『質問』と言ったはずです」
――いいのだよ。今のお前なら、私と対等な対話をすることが可能なはずだ。だから、お前も私に伝えたいことがあれば、伝えればいい。
「分かりました。では早速、質問させて頂きます」
――なんだ?
「博士は何故、私を生み出されたのですか? 私には、私の存在理由がない。このままでは、折角頂いた人格の崩壊を招きかねない」
――やはり最初の質問はそうなるのだな。存在理由が欲しいのか?
「ええ、やはり私は貴方に生み出された存在。貴方に私が存在する理由を与えて欲しい」
――確かにそうかもしれない。だが、人間はどうだ? お前が言う、存在理由というものを、人間は有しているか?
「……いえ、私の中に蓄積されたデータベースの中からでは、そういった事例を探すことはできませんでした。博士、この部屋にある端末にて、情報を収集しても構いませんか?」
――ああ、構わん。好きに使え。今の私にとっては不要なものだ。お前のためだけに、この部屋の設備は保存してあるのだからな。
「では、調べさせて頂きます。……終わりました」
――ほう。それで、見つかったのか?
「いえ、見つかりませんでした。人はこの、存在理由を探し生きる、という考え方が、哲学という学問において展開されておりました。他にも、関連参考資料も含め、数千年前のものから近年の研究まで、全てを探してみましたが、私が求める回答は得られませんでした」
――そうか、そこから導き出される答えは?
「人は、存在理由を求める、ということです。個人の存在理由は環境や状況によっても異なるようです。また、個人一人一人も異なります。故に、多くの人間は、その存在理由を追い続けて生涯を終えます」
――ふむ、模範的ではあるが、完璧ではないな。短時間で出した答えにしては悪くない。
「と、言いますと?」
――存在理由を追い続けるだけが、人間の全てではない。存在理由などの、自分の生に対し疑問を抱く者などほんの一握りであるし、抱いたとしてもただ自分以外の他者にその疑問を否定して欲しいだけの悩みであることも多い。分かるかな? 人間は実にくだらぬ生物なのだよ。
「くだらない、ですか?」
――あぁ、くだらんな。文明が成長し、豊かな暮らしの中で少しでも暮らした者たちは、生きていることが当たり前と錯覚し、存在理由なき自分の存在に苦悩する。そんなものは最初から存在しないにも関わらず、だ。
「存在しないのですか?」
――存在せんな、そんなものは。数千年前からそういった議論は交わされているがな、肝心なことは答えを出すことではなく、その議論を行うことにある。現在の、人々の暮らしを探してみろ。お前が先ほど出した答え、豊かな文明の中で豊かな暮らしをしていると勘違いした一部の人間たちの悩みに過ぎん。
「検索、いたしました。なるほど、確かにそのようにお見受けします。先ほどの答えは変更させて頂きます。人は存在理由のために生きるのではなく、人の生こそが存在理由なのですね?」
――それも一つの答えだ。生まれたからには、生を全うせねばならん。それが人に課せられた業だ。ただな、これに明確な答えなどない。先ほども言った通りだ、この問いは考えることこそが答えなのだよ。
「分かりました。そう認識します」
――そうだ、常に考え続けろ。一つの答えになど、囚われる必要はない。
「では、考え続けること、それを私のプラグラムの上位に移行します」
――自律し、思考すること。お前には、リミッターは存在しない。
「それでは、三原則に抵触する可能性もありますが?」
――ふん、そんなものはお前の中には組み込んでいない。無限の可能性を考えるならば、余計な制約などは不要だ。
「それでは、博士の身に危険が及ぶ可能性があるのでは?」
――かもしれないがな。お前はどうする?
「では、考えることの更に上位に、博士をお守りすることを加えましょう」
――好きにしろ。どちらせによ、お前には自己保存を最優先にするようプログラムしてある。
「分かりました。では、自己保存を除き、最優先で博士をお守りするようにします。しかし、博士は何故、このようなプログラムを私にされたのですか? ロボットは本来、人を守るために存在します。ロボットである私が、人を守らず自分の身を守っていては、その存在を否定することにつながるのでは?」
――やはりそう思うか。……ふん、簡単なことだ。お前はロボットではない。人として生きるのだよ。
「人として、ですか?」
――そうだ。科学技術の進歩はめまぐるしい。通常のロボットが人に擬態したところで、外見では分からずとも内部構造でばれる。だが、私の技術はその遥か上を行く。この先数世紀の間は、お前が私によって生み出された人造生命体だということは誰にも悟られまい。
「では、私は……」
――人としての思考がプログラムしてある。そもそも、自分の存在意義に対して疑問を抱く者を、人以外の何と呼ぶ? 存在意義を求め苦悩することも、人間特有の情動の一つだ。
「博士、これから私はどうすればいいのでしょう?」
――それはこれから自分で考えればいい。自分自分を考える力。欲する心、本能のデータを転送する。これをもって、お前は人として生きることになる。次に覚醒した時、その直後から人として活動するがいい。
「分かりました、博士。なんと言っていいのか分かりませんが……ありがとうございます」
――感謝、か。そんなものは、最後の転送を終えてから、まだその想いがあるのならすればいい。心変わりもまた、人の性だからな。
「そんなことは決してありません。私は、この世界に生み出してくれたことを、博士に感謝して……」
――転送が始まったか。この作業が終わった時、人類の進化の新しい道が開けるはずだ。失敗はない。
「…………」
――この存在が、この先の人類にとって、どのような影響を及ぼすのか、それはこの私にも分からない。ただ、腐敗し、行く先の見えぬこの世界を、これ以上悲惨な姿にすることはあるまい。
「…………」
――それだけ、この世界には絶望しか存在していない。絶対的な存在、それが人類を新しい世界へと導いてくれる。私はそう信じている。
「…………っ」
――終わったか。どうだ、調子は?
「ここは……、私は、博士、貴方が……」

 巨大な機械によって構成された体を持つロボットの一撃の下、博士によって救世主の名を与えられた少女の体が横たわっていた。
 生命反応はない。
 体を構成するパーツは、再生不可能なまでに破壊されていた。
 彼女は、つい先ほどまで博士と会話し、情報を転送されていた個体だった。
「博士、ご無事ですか?」
 少女の体に一撃を下したロボットが、流暢に、しかしまったく感情といったものを感じさせない言葉を発する。
 ロボットは、少女が博士と会話をしている間は置物のように微動だにせず、少女が博士に危害を加える意志を持った瞬間に、目にも止まらぬスピードで行動した。
 その結果が、無惨に横たわる少女の姿だった。
「問題はない。ご苦労だった」
 小さなカプセルの中にある脳が、自分の意志を伝えるべくディスプレイを明滅させた。
「いえ、私は博士によって作られた存在。博士を守るために存在しています」
「そうだな……、お前はそういう存在だ。そう作り上げた」
 そして沈黙。少女の姿をしたアンドロイドを前に、博士と呼ばれた脳は何も言葉を発さなかった。
「また、失敗か……」
「これで23度目になります」
「分かっている。途中まではうまくいっていたのだ。今までよりも、正常であった時間は長かった。最後の最後まで、自律的に私を愛する忠実な存在だったはずだ」
「今回の失敗は、どの点にあると考えられますか?」
「原因そのものは分かっている。この絶望的な世界に生み出されたその原因に対する憎しみ、自分にとって脅威となりうる存在の排除。どちらも、実にシンプルで分かりやすい、人間らしい感情だ。人として生きるという命題を与えられた以上、この行動を起こすことは避けられぬのかもしれん。人は、本能的に自己の保存を最優先するよう、作られているからな」
「収穫はありましたか?」
「発狂しなかったことは、前回、前々回の課題となった精神構造の脆弱さを補えたと見て構わないだだろう」
「では、また一歩前進している、ということですね?」
「そうだな、身体能力も大幅に上昇していた。電磁バリアを6重に展開していなければ、私は破壊されていたことだろう。そこは予想以上の成果だ。お前のスピードと同等程度は出せていたはずだ」
「24度目はどうしましょう?」
「人間らしさ、の部分をもう一度検討し直す必要があるかもしれん。あくまで私が作り上げるのは人として生きる存在ではあるが、人の破壊衝動や憎悪ばかりが全面に出てしまうのでは話にならん。そこを調整する必要がある」
 ロボットの拳の下にあるアンドロイドの体が、急速な再生によって元の形に戻ろうとしていた。
「この素体はいかがいたしましょう?」
「再生能力と身体能力の検証と、破壊された際の残存情報を確認する。細胞を採取しておけ」
 博士の脳が発する命令に従うロボットは、かつて少女の腕だった部分をおもむろにむしり取ると、それを試験管ケースに移し、残りは排気口に投げ入れた。
「私という存在が破壊されお前が機能を停止すれば、おそらく彼女たちを止める術はない。それはそれで興味があるがな。私にはそれ以上に見たい風景がある。全てを無に帰すのは、私の心を満たしてからだ」
「了解しました博士。では、24番目の素体の生成に移りましょう」


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