"EternityLink" Case.02

 女は遠い昔のことを思い浮かべていた。
 それは二人の永遠の愛を誓った約束。例え離れ離れになろうとも、二人の愛は未来永劫続くと語り合ったその場所で、女は一人想いふけっていた。
 もう、どれだけ昔のことになるのか、女には計り知れなかった。時間の感覚などとうの昔に消え失せた。
 女は永遠の時の中で、生命を刻みつづける者。人であって人ならざるもの。化生であって化生ならざるもの。土に生まれ土に還る。たった一つ、唯それだけの理を護ることができぬが故に罰を背負いし咎人。
 人が生まれ、育ち、死に、それが幾世代繰り返そうと、女はただそれを眺めていた。国が興り、発展し、滅び行く様を、ただじっと見つめていた。
 女があの中で暮らしていたのは、遠い昔のこと。もう思い出せることは残っていない。思い出は、一つだけを残し全て風化してしまった。そう、一つだけ、永遠の愛を誓ったあの思い出だけを糧に、女は気の遠くなるほど長い残りの生を全うするつもりでいた。
 だから、その人影が彼女が住まう山の中腹に見えたとき、また旅人が誤って迷い込んだのだろうと、そう考えていた。だが、まっすぐに、自分のいる場所を目指し、一歩ずつ近づいてくる人影を眺めているうちに、ふと小さな期待が彼女の心に一粒の滴を落とした。小さな滴は大きな波紋を呼び、果てしなく長いその山道を少しずつ登ってくるその人影
に、いつしか想い人の姿を重ねていた。
 来るはずがないのだ。彼女がこの場所で、どれだけの昼と夜を過ごしたか。草原だったこの場所は、あろうことか今は見る影もない岩肌だけの山脈と化している。もう、この場所を訪れる人などいない。
 それでも人影は、迷うことなく自分のいるその場所を目指している。少しも帰ろうとする素振りを見せない。間違って迷い込んだわけでは、決してないのだ。
 女は一心に期待しながらその人影の到着を待った。人としての感情を失い、ただ一日を眺めるだけに費やしていた日々に、生命力が戻るのを実感する。その感覚は、久しく忘れていたもので、女の胸を熱くさせるのだった。
そして遂に、その人影が目の前にまで来た。
なんという偶然だろう。やってきた人影は男で、永遠の約束を交わした男に面影が似ていた。あの眼は間違いなく彼のものだ。そう確信するのに、時間はかからなかった。
女は自分が座った岩の上から、そのすぐ下まで来た男に声をかける。
「このような場所にどうしたのです?」
 多少の警戒をこめて女は質問した。そこには、目的は自分であって欲しい、という願いがこめられている。
「ある噂話を聞いて、ここにやってきました。天を貫く山々の奥深くに、仙女の住まう地があると」
「仙女? そのためだけに、この険しく長い道程を一人で踏破したのですか?」
「ええ、この噂は、僕がこの目でしっかりと確かめておきたいと、そう考えていましたから」
 男の眼は、やはり約束を交わした男と同じ眼のような気がした。だが、あの男のはずがない。彼女は知っている。人の生は彼女の生に比べ圧倒的に短い。誕生を見届けた赤子の死など、何度も見ているのだ。
 少なくとも、目の前の男が、あの約束を交わした男であるはずがない。分かってはいたが、改めて考えると胸が痛むのを感じていた。
「しかし、伝承の通りに、本当に人がいるなんて……」
「その伝承というのは?」
「はい、我が家に伝わる古い文献の一つにあるんですよ。自分が果たせなかった約束を、誰かに果たしてもらうために綴られた一節がね」
 長い髪に半分近くが隠れた目の前の男は、片方の眼でじっと女を見つめている。観察しているともとれるその凝視に、人と向き合うこと自体久しかった女はたじろぐ。
「それで、こんな山奥まで……」
「それなんですよ。この場所は山奥だ。だが、伝承に示されているのは、草原で約束を交わした、ということなんです。山の上じゃあない。前後の表現から、おそらく座標上はこの辺りだと推測はできたんですが、平原どころかここ一帯が山脈になっている。誰も確かめるものはいなかった」
 ならば、約束を交わした男の子孫とでもいうのだろうか。あの男は確かに、この場所に帰ってくると、そう私に伝えた。その約束を数千年の時を越え、果たしに来たというのだろうか。
「だけど、不思議なものです。伝承にあった通りの場所に来てみれば、貴女がいた。こんな山奥で一人。私はその文献を綴った男の無念を晴らせれば、と思い確かめに来たのですが、まさか目的の場所で人に会うとは……」
「あの、私は……」
「数千年もここで待ってる、なんて冗談はいいですよ? 世界中にはまだ解明されていない謎が多いですけれど、不老不死の生物なんて聞いたことはない。唯一近い存在でいうなら吸血鬼かも知れませんが、あいつらは日光の下じゃまともな活動はできませんからね」
 男は真上に上った太陽を指しながら、笑って話を進める。
「実は、もしかして吸血鬼だったらどうしようかと思い、到着時間が昼になるよう逆算して登ってきたんですよ」
「吸血鬼、ですか?」
「ご存知ではない?」
「ええ、長いことこの山奥で暮らしていましたから」
 女の言葉に男は一瞬身体を反応させ、大きく頷いてみせた。
「外界と隔絶した暮らしをしていれば仕方がないですよね。さて、ちょっとそっちに行ってもいいですか? 確認しておきたいこともありますし」
 そういって、男は女のいる岩をよじ登り始めた。
 やがて女の横にきて、その場所から周囲を一瞥する。
「ふむ、いい景色、ですよね」
 景色を眺めたあと、岩を中心に足元を見て回る。何か痕跡がないか、調べているのだ。
 女は岩に背を預けながら、男の行動を眺めていた。
 やはり似ている、と思う。いくら記憶が薄れたとしても、忘れられぬものはある。ちょっとした仕草や癖。なによりも、あの眼が放つ輝き。
確かめる方法はある。髪で隠れた方の眼。そっちを見れば分かる。本人なのか、どうか。
衝動を抑えきれずに、女は足元の岩を調べる男に近づいていった。しゃがみこむ男のすぐ横に立つ。
「どうしました?」
 不思議に思い立ち上がった男が女の前に立つ。すぐ手が届く距離に二人はいた。
 沈黙。
 女は、目の前の相手をじっと見つめ、言葉を発することができないでいた。
 やはり、似ている。あまりにも似すぎている。だが、それは自分の思い過ごしだろう。眼を見れば分かる。隠された左眼の傷を。
 そっと手を伸ばし、柔らかな銀色の髪に触れる。男は女の行動を眺めながらも、それを制止しようとはしなかった。
 左眼。そこには古い刀傷があった。
 それはまさしく、約束を交わした男が女と出会った時に負っていた刀傷に違いあるま
い。まったく同じ角度同じ長さで、左眼の中心を上下にわたって走る傷。例え子孫であったとしても、同じ傷を持つことなどありえないだろう。
「ああ、貴方は……」
 涙が溢れ出した。幾千の夜を越えた記憶など、どこかへと吹き飛んで消えた。ただこの瞬間のためだけに、私は生きてきたのだ、と。
「じゃあ、やはり、貴女が……」
 男も眼を見開き驚愕している。
 女は男の胸に飛び込もうとした。
 だが、それは叶わなかった。
「な、なんで……?」
 至近距離で死角になる動きで、男は腰に差した剣を抜き、女の胸に突き刺した。そのままの勢いで岩山ごと貫く。
 磔にされ、吐血しながら、女は男を見上げた。その形相は、憎悪と憤怒に満ち溢れていた。
「なぜ、だと? 私がこの時をどれだけ待っていたか分かるか? 地獄のような千年の
間、お前を殺すことだけを夢見てきた。地獄から解放された五百年間、お前の居場所を探すことだけに時間を費やした。そして、遂に、お前と再会することができた」
「どういう……?」
「理解できないようだな。先に言っておく、私は間違いなく、千五百年前にお前と会った男だ。子孫でも肉体を移植したわけでもなく、私自身だ。形はどうあれ、私はお前との約束を守ったということだ。どうだ、嬉しいだろう?」
 心底嬉しそうな声で男は一人喜びをかみ締めている。
「私を……愛してくれていたんじゃ、なかったの……?」
「愛していたさ、だからこうして生きている」
 分からない。彼がなぜこの場所にきて、私にこんな仕打ちをしているのか、私には分からない。
 女は心の中でその言葉をひたすらに反芻していた。
「お前も分かっていないようだな。教えてやろう。お前の不死性、これに関しては私も分からない。だが、分かっていることがある。それはお前が心に強く思っている相手を、自分と同じように不死たらしめることができる、ということさ。お前の血を媒介としてな」
「じゃあ、私が……」
「そう、お前が私のことを思い続けてくれやがったおかげで、私はこうして今も生きている、ということだ。たっぷり教えてやるさ、私が何をして今に至るかを、な」
 男は身動きを取ろうとする女に反応し、突き立てた剣を押し込んだ。悲鳴を上げ、女は沈黙する。
「いいから黙って聞いていろ。この山を降りたあの後、すぐに私は拘束された。異端と見なされ拷問され、それでも私は死ななかった。やがて、拷問は実験へと切り替えられ、それはいつまでも続いた。その施設が破壊されるまで、何代も何代もな。最初はよかった。死なぬ体ならば、いつかはお前に会えるかもしれないと思えていた。だが、拷問より苦痛を強いる実験を繰り返されているうちに、ふと思ったのさ。この苦しみが続いているの
は、誰のせいなのか、ってな。やがて、解放された私は、お前に同じ苦しみを味わさせることだけを考えた。ただそのためだけに、今までを生きてきた」
 女はがくりと項垂れた。自分はただ待っているだけの毎日を退屈していた。だが、その間、この男は苦しんでいたという。では、私が味わっていた苦しみはなんだったのだ?
 自問自答を繰り返す女に対し、男は懐から取り出した短剣を女の左胸に突き立てた。その瞬間、女の全身に焼けるような激痛が走った。左胸を中心に広がっていく痛みは、彼女の意識を根こそぎ痛覚だけに引きつけた。
「お前はここで、オレが味わった苦しみを味わえ。その剣は、吸血鬼の呪いがこめられている化け物殺し用の剣だ。効いているところを見ると、効果があるようだな。安心しろ、それはお前の力では抜けん。運よく誰かが通りかかることを祈っているんだな、この山奥に」
「ま、待って……」
 痛みに耐えながら、女は声を振り絞った。喉を震わせるだけでも激痛が走る。
「一つだけ……、お願い。私のことを……、もう愛しては、くれていないの……?」
 言葉を吐き出し脱力する。それでも、女を襲う痛みは決して待ってはくれない。
 その言葉に、立ち去ろうとしていた男は振り返った。
「愛しているか、だと? 簡単な答えだ。愛しているさ、私を取り巻く全てが壊れてしまうくらいに、な」
 それだけ言って、男はもう振り返らずに女の下を去った。
 二本の刃で磔にされながら、女は男の影が見えなくなるまでただひたすらに眼で追っ
た。

 あれから、どれだけの月日が流れたか。
 少なくとも、あの人を待っていた時間より短いのは確かだ。
 痛みに、全身どころか時間の感覚さえも支配されている。どれだけ時間が流れようと、同じ痛みが全身に走っている。そのことに変わりはない。
だから、あれからどれだけの時間が経ったのか分からない。
ただ、分かったことがある。それは、私はもう一度彼に会わなければいけない、ということだ。もう一度、会わなければならない。
そして伝えるのだ。愛情と、この愛情にも似た憎悪の行方を。


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