"Fake"

「お嬢様、どうしました?」
 目の前を豪奢な服を身にまとった少女が、肩をいからせながら歩いていく。
 一目見て、誰もが怒っていることが分かるその様子に、その館の使用人は誰も関わろうとしないだろう。彼女以外は。
「マリー、聞いて頂戴。私が大切にしていた髪留めがなくなったの。ルビーとサファイアがあしらってあるやつよ。貴女も見たことがあるはずだわ」
 マリーと呼ばれた女中は、自分が仕える主人が指すものを、考えるまでもなく思い当たり、軽く頷きながら答えた。
「ええ、分かります。お嬢様のお気に入りですよね?」
 溢れるほど物を持つ彼女が珍しく執着を見せていたその髪飾りは、女中の彼女の人生を十回買ってもまだお釣りがくるような代物だ。
 お嬢様、と呼ばれる少女も、マリーという名の女中も、年の頃は同じに見える。決定的な違いは、身にまとう服装によってつけられている。
 お嬢様は高級なドレスにたくさんのアクセサリーに身を包んでいる。かたや、女中のマリーは女中用に支給された制服である。いくら歳が近かろうと、傍から見て彼女たち二人が姉妹に見えることはない。
「そう、そのお気に入りよ。それがこの間から見当たらないの。クラウスに探させていたんだけど、見つからないのよ。あのモウロクジジィ、クビにしてやろうかしら」
 執事長のクラウスの途方に暮れた姿が目に浮かぶ。
 別の女中に聞かれた時と同じ返答を、マリーはこの場でも繰り返す。
「私は見かけませんでした。見当たらなくなった日の前後に、何か変わったことはなかったのですか?」
 マリーはこの家にやってきてからまだ日が浅く、あまり家の中の仕事は任せてもらっていない。最近は専ら、庭園の掃除ばかりをしている。冬の日になって、庭園の仕事をしたがる人が誰もいないのだ。もとより、庭園の花の手入れはマリーの仕事だから、辛い仕事は新人の女中に任せてしまえと、こういうわけである。
 もちろん、今話をしている場所も、館の本館と分館をつなぐ外廊下である。
「なくなったのは、かれこれ一週間前になるわ。一週間前といえば……」
「姫様がいらっしゃったのが、ちょうど一週間前ですね、そういえば」
 その言葉に、お嬢様が反応する。眉間に皺が寄り、こめかみに血管が浮き、拳が強く握られる。
「……そういえば、そうね。一週間前といえば、あいつが来た時だったわ。あまりに憎たらしいから、頭から抜け落ちていたわ。そうだった、そうだった……。ありがとうね、マリー。早速あたってみるわ」
 感謝を述べてるとは思えないほどの形相でそう言うと、お嬢様は颯爽と館の方へと戻っていった。
 お嬢様と姫様の関係を考えると、軽々しくその名前を出すべきではなかったのかも、とマリーは心の中で考えながら、自分の仕事である庭園の掃除に戻った。

「あらマリー、久しぶりね」
「姫様、お久しぶりです」
 学校の廊下を歩いていたマリーは、そう言って深々と頭を下げた。
 その様子を見て、姫様と呼ばれた少女は慌てて正す。
「別に構わないのよ。私と貴女の仲じゃない、そんな風に改まったりしないで。呼び方
だって、そんな他人行儀にしなくても構わないのに」
「そうかもしれませんが、ここは学校ですし、姫様が私のような庶民に名前で呼ばれている、というのも示しがつかないのではないでしょうか?」
 そういって、姫様の後ろからついて歩く集団に、ちらと目を向ける。
 その数、数十人。今日はまだ少ない方だろうか。
 中には、正装した警護の人間も混じっている。もちろん、これだけの人に囲まれていれば襲撃など不可能だろうし、彼女自身得体の知れぬ人間は決して近寄らせたりはしない。周囲についてくるのは貴族の子息など、身の知れた人間ばかりだ。
 それ以上に、彼女は自分が王女といっても、王位継承権は持たぬ身だから、よからぬ連中に命を狙われることもあるまいと、高をくくっている節があるということを、マリーは知っている。
 だからこそ、自由気ままに、こんなに大勢の人間を引き連れていても、それを意に介さずに行動している。
「私は別に構わないのに……。でも、貴女は昔から、そういうところは頑固ですものね。じゃあ、姫様って呼んでもらおうかしら? 今となっては、そう呼んでくれる人もいなくなっちゃったしね」
 そう言って、楽しそうに笑う。
 美しい栗色の髪をなびかせてくるりと回転すると、付き従う人間に向かって凛とした声でこう伝える。
「今日はもう帰って。私はマリーとお話をしていくわ」
 誰も反論する者はおらず、遠巻きに眺める位置に移動した数人の警護の者を除いて、皆一礼すると回れ右をして帰途につく。
「やっと帰ったわね。マリー、この後何か予定は?」
「お仕事がありますから、五時までにはお屋敷に戻りますけれど、それまでなら時間は自由です」
 マリーの答えに嬉しそうに笑うと、二人は肩を並べて歩き出した。

 姫様とマリーの二人、厳密にはお嬢様も通う、この学校には、この国の王族や貴族な
ど、上流階級の人間が多く通っている。校舎から制服から、全てが格調高く、庶民がおいそれと入学できるところではない。家柄もまた、入学審査の一因となるところも大きい。
 没落貴族の末席であり、家は既に離散したマリーは、本来ならばこの学校に通うことなど夢のまた夢、のはずだった。のだが、父親の友人であるお嬢様の父親に助けられ、女中として働きながら学校に通わせてもらっている。幼い頃に友人だったこの国の王女である姫様も、何か自分のためにしてくれたのではないかと思っているのだが、本人が口に出さないためその真実は分からない。
 お嬢様に姫様、二人ともマリーにとっての恩人で、どちらかを優先することなどできない。できはしないのだが、そのことでマリーはとても困る。
 街の中央に位置する噴水広場のカフェで姫様とお茶をしながら、マリーは話が嫌な方向へ流れていくのが分かった。
「時間は……、まだ大丈夫ね。マリーは毎日お仕事よね。大変じゃないの?」
「いえ、大丈夫です。皆さん、良い人ばかりですし。お嬢様も優しくしてくれています」
 その言葉に、姫様は露骨に嫌そうな顔をしてみせた。
「本当に優しくされているの? いじめられているなら、本当のことを言ってくれても構わないのよ? なんなら、私がお父様にかけあって、貴女の住む家も学費も全て出してもらいましょうか?」
 マリーの両手を掌で包み込みながら、姫様は優しそうに微笑む。
 だが、それに対し、マリーは静かに首を横に振る。
「いえ、姫様、そんなお言葉、私なんかにはもったいないです。それに、ご主人様には良くしてもらっています。このご恩はいつか必ず、そう思っているんです」
「そう……、マリー自身がそう言うのなら、私から言うことはもう何もないわ。できれ
ば、貴女にはあの女の元ではなくて、私のところにいて欲しかったのだけれど」
「そういうのは困るわね」
 かけられた声の方へと、二人が視線を向けると、そこには
「お嬢様!?」
 マリーは突然現れたお嬢様に驚き、そしていつものように席を立った。
「あら、いいのよマリー。ここはうちの屋敷じゃないんだから。外ではお互いに、ただの学生で、っていう約束でしょ。そこ、いいかしら?」
 そういって、マリーと姫様の間の椅子を引き、返事を待つまでもなく座る。それにつられるようにして、マリーも再び椅子に座った。
「あら、まだ誰もそこに座っていいとは言っていないはずよ?」
 そう言ったのは姫様。
「そうだったかしら、マリー?」
 そう返したのはお嬢様。
「ええと、あの……」
 口ごもっているのはマリー。
 できれば、この二人がいる場での同席は避けたかった。二人の古くからの友人であるマリーは、この二人がどれだけ仲が悪いかを、誰よりも理解していた。
 幼い頃から今まで同じ学校の同じクラスという奇妙な縁の二人は、その縁故に度々競いあった。
 姫様には、生まれ持った才能があった。何もしていなくても華やか。生まれ持ったものは、どうやっていたとしても光り輝くものだ。
 お嬢様には、これまで培ってきたたくましさがあった。彼女の家は、父親の代で貴族としての地位を大幅に引き上げた。叩き上げの精神は、父親の背中を見ながら育ったお嬢様の中にもしっかりと根付いている。自分を磨く術に関しては、彼女の右に出るものはいないのではないかとマリーは思っている。
 どちらか一方が優れている、ということはなく、常に競い合う二人は、巡回する警察官から市場の花屋まで、この辺りでは知らない人がいないほど有名なライバル関係だった。一度競い合えば、街中の宝石店から宝石が消える、とまで言われていた。
 そんな二人が、街のカフェで同席している。
 マリーは気が気ではない。
 事態を把握したのか、気がつけば周囲のテーブルは軒並み空席になっていた。
 一気に寂しくなってしまったカフェのテーブルの上で、マリーはおろおろとしていた。既に、二人の会話は始まっているのだ。
「相変わらず趣味の悪い格好をなさっているのね。国の王女様なのだから、もっとちゃんとした格好をして頂かないと、国民としては恥ずかしくて外も歩けませんわ」
「あらあら、そちらこそ、随分とまた成金趣味がひどくなっていませんこと? そんなことじゃ、お金を使い慣れていないことが、周りの皆にばれてしまいましてよ?」
 マリーは、どちらにつくでもなく、会話を真剣に聞くでもなく、ただその会話に耳を傾けている。大切なことは……
「マリーはどう思います?」
 二人から同時に話を振られる。
 この時、どうやって、二人両方の機嫌を損ねない受け答えができるかということが、この場におけるマリーの最重要課題だった。
「ええと、私は……、あんまり高いお洋服も宝石も、私には遠い世界の出来事みたい
で……、二人がすごい素敵だってことくらいしか分からなくて、ええと……」
 あれこれと考えはしたものの、マリーは素直な気持ちで語ることしかできなかった。
 それに対し、二人は同時に、それもそうよね、といった視線を一瞬だけ交わした。
 同じ学校に通う同い年とはいえ、マリーとこの二人では住んでいる世界が違う。何よ
り、お嬢様に至っては主従関係にあるのだから当たり前だ。
「本題に入るわ」
 と、お嬢様が切り出した。姫様は黙って先を促す。
「一週間前、貴女は私の屋敷に来たわよね?」
「厳密には、貴女のお父様のお屋敷、ですけれどね」
 刺々しい姫様の物言いを受け流し、お嬢様は多少体を乗り出して、核心の言葉を口にする。
「一週間前から、私が大切にしていた髪飾りが見当たらないの。貴女、何か知らないかしら?」
 それは、貴女が犯人なのですか? という質問と同義だ。姫様のこめかみに血管が浮
く。
 それでも姫様は、この国の王族であるということを忘れずに、努めて冷静な口調で切り返す。
「どうして私が、貴女の持ち物に関して知っていなければいけないのかしら? それに、貴女が持つ程度の安い髪飾りなんて、私の目に留まるとは思えませんけれど?」
 その言葉に、今度はお嬢様のこめかみに血管が浮く。こちらは、既に姫様を犯人と決めつけているらしく、早く白状させようという気持ちでいっぱいなようだった。
「残念だけれど、その髪飾りはこの世に二つとない代物なの。あれは、私のお父様が、国王様のお妃様から直々に授かったものだから。もっとも、貴女のお母様ではない、正室のお妃様ですけれど」
 最後の言葉が、かちんときたようだった。姫様ががたんと音を立てて席から立ち上が
る。
「なんですって? 今のは聞き捨てならないわね!?」
「あら、でしたら何度でも言って差し上げましょうか? この国の次期国王様になる方を生まれた方から授かったのよ。どう転んでも王位を継承できない子の親に貰ったわけじゃないのよ」
 吠えるように言いながら、お嬢様も立ち上がる。今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうだが、二人は決してそうはしない。おそらく、取っ組み合いなど見苦しいからだろう。きっと、人目がなかったら、もっとひどいことになっていたのではないかと、マリーは首を縮ませながら考えていた。
 頭を両手で抱える。今日はお仕事の時間までに帰れるだろうか。

 この、宝飾品が紛失する事件は、この一件に収まらなかった。
 その次の週には、姫様が亡きお母様から贈られたという首飾りがなくなり、それからお互いの指輪や腕輪など、次々と行方が分からなくなっていった。それも、なくなるのが交互に、である。
 お互いに、三つずつものがなくなったある日、お嬢様といつぞやのカフェでお茶をしていると、そこに姫様が現れた。
 周囲のお客が、一斉に席を立ちいなくなる。だが、姫様は椅子に座ろうとすることな
く、お嬢様を見下ろしていた。
「何よ、この泥棒王女。お金に困ってなんかいないくせに。よっぽど私が使っているものが欲しいらしいわね」
「それはこっちの台詞。って言いたいところだけれどね」
「どういう意味?」
 怪訝そうな表情で尋ねるお嬢様。
「貴女、本当に私の物盗ってない?」
 いきなりの唐突な質問に、お嬢様は即座に答えられなかった。一瞬の間を置いて、即座に反応する。
「盗ってる訳ないでしょうが。大体、この話は全部貴女がーー」
「盗っていないのは私も同じ。お互いにお互いを疑うのは分かるけれど、もし本当にお互いが盗っていないのだとしたら……」
「犯人は他にいるかもしれない、ということですか?」
 それまで黙っていたマリーが、姫様の最後の言葉を継ぎ足す。
「そういうこと。流石マリー、物分かりが速い」
 その言い方に、顔を曇らせたお嬢様だったが、すぐに肩の力を抜いた。
「確かに、貴女の言う通りかもね。仮に犯人が貴女じゃないとして、真犯人が他にいるんだとしたら、こうやって二人でいがみ合ってることは、そいつが得するってことになるわね」
「そう、だから、一人にこだわらず、犯人が誰かを考えるべきだと私は思うわ」
 そして、二人は互いの顔を見た。お互いに、視線を少しも外さないところは変わらないけれど、睨み合っているような感じはしなくなったとマリーは思った。
「それじゃあ、二人で協力して犯人を探したらどうですか?」
「「えぇっ!?」」
 二人の声が重なる。
「だって、二人の目的は同じじゃないですか。それとも、警察の方に被害届けを出して、そちらに任せてしまうんですか?」
 マリーの提案に対し、二人同時に考え出す。
「被害届けを出すのはもう少し先でもいいわ。そんな犯人になめられているようじゃ、私の名前に傷がつくもの」
 先にそう答えたのはお嬢様の方だった。
「私もそれは賛成ね。警察のご厄介になる前に、私自身がやれることがまだあるはずだ
わ」
 と、姫様も答える。
「じゃあ、二人で協力するんですね?」
 無邪気に尋ねるマリーを見て、二人は顔を見合わせる。
「まぁ、しょうがないわね」
「マリーの顔を立てるだけよ」
 渋々承知する二人。マリーは一人、にこにこと笑っていた。

 それからの数日は、何よりも周囲の人間が驚いていた。
 お嬢様と姫様の犬猿の仲は有名であり、二人が仲良さそうには見えずとも行動を共にしているということは、周囲の人間からすればあり得ないことだったからだ。
 二人がどうやって何を調べているのかを、マリーはよく知らない。
 ただ、二人がいがみ合いながらも、一つの目標に向けて協力していることだけは知っていた。
 そうして、また数日が過ぎたある日、マリーはまた同じカフェで一人、お茶をしてい
た。
 この日は、二人からそのカフェに呼び出されていた。
 ゆっくりとお茶を楽しむ。ただの奉公人であるマリーにとって、安らぎの一時だった。
 今日の話の内容は、なんとなく察しがつく。
「ごめんなさい、待ったかしら?」
 姫様がやってきた。そのすぐ後ろにはお嬢様もいる。
「いえ、大丈夫です。ここでお茶するのが好きですから」
 二人も注文をし、しばらく静かなお茶の時間が過ぎる。
 マリーのカップの底が見え始めた頃、姫様が口を開いた。
「あれから、マリーの提案の通り、二人であれこれと調べていたの。ここ最近で、私たちの周辺を探る動きはないかだとか、屋敷の付近で気になる人影はなかったのか。二人で調べ始めてからは被害がないから、協力し始める前のことになるわね」
「どうですか? 何か分かったことでもあったんですか?」
 その問いに対して、姫様は首を振る。代わりに、お嬢様が喋りだす。
「見つからないのよ。私たちの周りに、怪しい人影もそういった動きも何もなかった。もちろん、怪しい人物がいなかったかについては、まだ継続して調査していくつもり。で
も、もう少し別の観点からも調べてみるつもりなの」
 そして、お嬢様はマリーの目をじっと見つめてくる。その目にマリーは弱かった。いつも自信に満ち溢れているお嬢様は、自信などないマリーにとってはあまりにも眩しい。
「一緒に調べていくうちに、私はこの姫様は犯人じゃないと思うようになったわ。よくよく考えてみれば、他人から盗ったもので着飾るなんてこと、彼女のプライドが許さない
し、それは物盗るという行為にしてもそう。見苦しいことを嫌う人間にとって、見苦しいことをして得たものなんて何の価値もない。自らの力で勝ち取ったものにこそ意味があるんだもの。そこだけは、彼女に共感できる」
 お嬢様の表情は穏やかだった。姫様のことを話す時、こんな顔をしているお嬢様を、マリーは初めて見たかもしれない。
「こんなことは不本意ではあるのだけれど……」
 姫様が言い淀む。いつもはっきりとした物言いをする姫様には珍しいことだった。
「親しい人についても調べる、ということですね。私だとか……」
 二人がこくりと頷く。
「貴女を疑っているわけじゃないの。ただ、少し話を聞かせて欲しいだけなのよ。だか
ら、あまり気にせず、ありのままを教えて?」
「私は……」
 そこで口ごもる。何を喋ればいいんだろうか、自分は殆どお嬢様のお屋敷で掃除をしているだけだ。お嬢様の外出の際に同行することも度々あるが、そう多いことではない。
「普段はお嬢様のお屋敷で働いています。学校の帰りに、こうしてお茶をすることはあるけれど、帰る時間は決まってますから、あまり長居もできません」
 彼女はありのままを語った。そこに嘘はない。
「物がなくなり始めた頃には、何かなかった?」
 かれこれ二週間ほど前のことだ。まだ覚えている。
「やはり、掃除をしているくらいです。あとは……、お嬢様の外出にも何度か同行しました。姫様のお屋敷に行った際もご一緒しています」
「そうだったわね、私も覚えているわ。貴女とばかりお喋りしていたものね。その時、一緒に同行していたのは、他に誰がいたかしら?」
 姫様の相槌が詰問口調に変わったことをマリーは実感していた。聞きたいことは、その部分なのだろう。
「私とお嬢様、あとは執事長を含め数人の方がいましたけれど、お屋敷の中まで入ったのは、お嬢様と執事長と私の三人です」
 思い出しながら答える。
 姫様のじっと見つめる視線と、お嬢様の些細な動作も見逃さないその視線を浴びて、マリーの体は緊張で動けなくなっていた。
「そう……、クラウスさんとマリーね。分かったわ、ありがとう」
 姫様が立ち上がる。お嬢様も同じように立ち上がった。
 残されたマリーは一人、冷めたお茶の残りを口にしていた。

 マリーの部屋の扉がノックされたのは、それから数日後だった。
 今日は休日で学校も休みだ。仕事の開始までまだあと少しある。何をしようかと考えていた矢先のことだった。
「マリー? 今大丈夫?」
 お嬢様の声だった。
「はい、今開けます。どうなさいまし……た?」
 開けた扉の先には、お嬢様だけでなく姫様もいた。二人とも、神妙な顔をしている。
「姫様までご一緒だったんですね。こんな格好で失礼を。私、すぐに出かけられるよう着替えてきますね?」
「いえ、構わないわ。マリーのお部屋にお邪魔しても?」
「え? えっ!?」
 その言葉に慌てるマリー。
「え、えっと、じゃあちょっとだけ待ってもらっても構いませんか? せめて、着替えさせてください。こんな格好じゃ恥ずかしくって」
 寝間着というわけではないが、部屋着であることに変わりはない。お嬢様と姫様を迎え入れるには、あまりにも場違いすぎる。
「大丈夫よ。突然押し掛けたのは私たちの方だもの、いくらでも待つわ」
 主であるお嬢様にそう言われてしまっては女中としての面目が立たない。マリーは慌てて部屋に戻ると、自分の服の中でも見栄えが良いものを選んですぐ着替え、髪を梳かしてからまた扉を開けた。
「お待たせしました。どうぞ……」
 そうして、二人を部屋に招き入れた。
「これがマリーの部屋ね。初めて入ったわ」
 姫様は物珍しそうにきょろきょろと部屋中を見ている。
「あまり見ないでくださいね。散らかってますし、恥ずかしいです」
 だが、散らかっている、というほどの物はマリーの部屋にはなかった。制服を含めて服が数着に、学校の教科書などが並べられている程度。娯楽と呼べるようなものはなかっ
た。
 テーブルを中心にして、三人は椅子に座った。
 屋敷の主であるお嬢様が三人の先陣を切る。
「用事っていうのはもちろん、あの事件に関してよ。私たちなりに、今回のことに決着がついたから、その報告をと思ってね」
「そうだったんですか、それでわざわざ私のところまで……」
「単刀直入にいくわね。いい?」
 その言葉に、マリーは背筋を伸ばして頷く。
「ズバリ、私たちが下した判断。犯人は貴女よ、マリー」
 マリーはその言葉に何も答えられなかった。その沈黙が、全ての答えのようにも見え
た。
 俯いて、スカートの裾をぎゅっと握って、二人の話を黙って聞いていた。
「あれからも調べているけれど、私たちの近辺に怪しい人影はなかった。それになくなったものはおそらく、二人とも屋敷の中でなくしている。屋敷の中に侵入した賊なんて見当たらないし、行きずりの犯行ならわざわざ私たちのものを交互に盗むなんてことをする必要もない。交互に盗む、なんてリスクを負ってまで、私たちの大切なものに手を出した理由、話してもらえる?」
 お嬢様の声は穏やかだった。決して、マリーを責めるそれではない。そして、黙って見つめる姫様の視線もまた、マリーを追求するような眼差しではなかった。
「わ、私は……」
「その先は私からご説明致しましょう」
 扉の方から、初老の男性の声が響く。
 三人が同時に部屋の入り口に目をやると、そこには執事長のクラウスが立っていた。
「お嬢様、立ち聞きし、また突然介入したこと、無礼とは承知の上でやって参りました。私の責を追求せねばならぬことは分かりますが、ここはまず先にこのお屋敷の女中であるマリーの真意について、お話しさせて頂きたい。第三者である私から言った方が、信じてもらえることもあるでしょう。よろしいですな、マリー?」
 白くなった口ひげを蓄えた、この屋敷の執事長に相応しい貫禄をもった初老の男性は、三人の少女に有無を言わせぬ勢いで、予め用意されていたらしい口上を述べた。
 マリーは黙ったまま、こくんと頷くことしかできない。
 その反応を見て、今度は姫様の方へと向き直る。
「ご挨拶が遅くなりまして、申し訳ありません。姫様、本来ならば私のような下々の者が出しゃばる立場ではないことは十分存じておりますが、今回はこの老いぼれのメンツを立てるつもりで、お許し頂ければと思っております」
 その言葉にも、やはり姫様は頷くだけで反応した。
「ちょっと、クラウス。どういうことなの?」
 状況が飲み込めないままのお嬢様は、多少の苛立ちをこめて自分の執事に話しかける。
「今まで黙っていて申し訳ありません。マリーの提案を受け、私もそれに同意していたのです」
「提案?」
 お嬢様が素っ頓狂な声をあげる。
「そう提案です。全ての話をここで打ち明けましょう」
 そこで一旦話を区切り、クラウスはお嬢様と姫様、二人を見据えるように姿勢を直し
た。
「それはお二人のことです」
「私たち?」
 と、今度は姫様の声。
「そう、お二人です。お二人は幼い頃からの友人であるにも関わらず、その立場などが原因であまり仲がよろしくない。その様子を見かねたお二人の共通の友人が、一計を案じたのです。お二人が仲良くなれるよう、そんな計画でした」
「その友人っていうのが……」
「……マリーなの?」
 二人同時にマリーを見る。二人分の視線を一度に受けて、小さくなっていたマリーは更に小さくなっていった。
「ええ、マリーは貴女方お二人は、いい友人になれるのに、ということを度々私に言っておりました。何度か、お二人が仲良くなれる方策はないか、という相談にも乗っていま
す。そして、今回の案を考えついたのです。二人で協力することがあれば、お互いに心を開くことができるのではないか、と」
 そして、また一呼吸置くと、テーブルに座る三人を眺め、クラウスは嬉しそうに目を細めた。
「その様子を見ると、お二人は見事な連携でもって協力し、この事件を追いかけたのでしょう。聞かせて頂いた限りでは、互いの人となりまで把握できているようだ。お二人は、きっと良い友人になれるでしょうな」
 何度か、この三人がお茶をしている場を見たことがあるクラウスは、普段ならば席を近づけようとも、顔を見合わせようともしない二人の距離が近くなっていることをしっかりと見ていた。
「マリーには、お二人が友人になるという願い、それ以外の他意はありません。紛失していたはずの宝飾品も、私が責任をもって預かっております。ご安心下さい」
 そこで、それまでずっと俯いていたマリーが顔を上げた。お嬢様と姫様の顔を交互に見て、頭を下げる。
「出しゃばったことしてしまい、申し訳ありませんでした。でも、お二人には仲良くなってもらいたかったんです。きっとお二人は良い友人になれると、ずっとそう思っていたんです。ですから……」
「いいのよ、マリー。そんなに謝らないで。貴女がそんなに私たちのことを思ってくれていたこと、本当に嬉しいわ。それに、ここだけの話、この数日間楽しかったのよ。誰かと協力するのがこんなに楽しいと思えたのは、これが初めてだわ。こっちがお礼を言いたいくらいよ」
 姫様は、マリーの右肩に手を置き、優しく話しかける。顔を上げたマリーの瞳から、こらえていた涙が零れ落ちた。
「私もよ。悔しいけど、この数日間は充実してた。こういうのも悪くない、って思って
た。まんざらでもない、ってね。そんな風に思えたのもマリーのおかげ。こんなに想ってくれる友人がいるってだけでも、私は幸せものね。ありがとうマリー。私からもお礼を言うわ」
 そう言って、お嬢様がマリーの左肩に手を置く。
 二人を交互に見たマリーは、溢れる涙を止めようともせず泣き続けた。
 お嬢様と姫様は、しょうがない子だとばかりに、ちょっと困った顔をして、お互いが同じような顔をしているということに気付き、また笑った。
 その様子を見ていたクラウスは、何を言うでもなく静かに部屋を後にした。
 マリーの部屋には、その主が流し続ける涙と、嗚咽で言葉にならない言葉が溢れかえっていた。

「それでは、お暇を頂きますね」
 マリーの真意が二人に伝わった次の日、執事長のクラウスにマリーは挨拶をしていた。
「もう、わざわざ暇を取る必要はないのではないですかな?」
 自慢の口ひげに手をやりながら、クラウスがマリーに問いかける。だが、その言葉に対して、マリーは真剣な眼差しで応える。
「一度自分で決めたことですから。それに、本当のところはどうあれ、お嬢様と姫様、二人を騙していたことに変わりはありませんし」
 決意は変わらない。
 クラウスは、昨日姫様が帰った直後にも同じことをマリーに聞いていたが、その時も同じ返事をしていた。
「それに、折角お二人が仲良くなったんです。ここで私がいたら、お二人の邪魔になってしまうような気がして。お嬢様と姫様、二人は本当にお似合いの友人だと思いますから」
「そこに自分も入りたい、とは思わないのですかな?」
「私とあのお二人とでは、住んでいる世界が違いますから。私が間に入るよりも、あのお二人はお二人だけで、友人として付き合っていくのが良いと思います」
「そうですか、貴女もとことん健気な方だ。お嬢様も、貴女のような人に支えられて幸せですな」
「そんなことはありません。幸せを貰ったのは私の方なんですから。お嬢様が幸せになるのは、私にとっては当たり前のことなんです」
 そして、気恥ずかしそうにはにかんだ。
 クラウスは、この女中こそ、お嬢様のこれからの人生に必要な人物なのではないかとも思ったが、それを口にするのはやめた。確かに、立場が違いすぎる。この少女は、お嬢様の幸せを願い、お嬢様の幸せを見て微笑んでいるのが一番なのかもしれない。
「では、私はそろそろ行きますね」
 そう言って、マリーは足下に置いてあった、少ない自分の荷物が詰められた鞄を持ち上げた。

「マリー、田舎に一度帰るらしいわね」
 いつものカフェで姫様が声をかける。
「ええ、そうよ。クラウスと私も止めたんだけど、あの子ってああ見えて頑固なところがあるでしょう? お嬢様にご迷惑をかけた手前、そのまま仕事に戻るわけにはいきませんから、ですって。そんなこと、気にしなくてもいいでしょうにね」
 と、お嬢様。マリーはいなくても、二人は特に意識もせずカフェに集まっていた。
「しばらくしたら戻ってくるのでしょう?」
「ええ、そのはずよ。戻ってくるように、と伝えたもの。それに、あの子の家は今はあってないようなものだから。あの子がいるだけで、家計が火の車になりかねないわ。しばらくせずとも、帰ってくるんじゃないかしら?」
「そう……」
 穏やかな午後の日差しに包まれて、しばらく二人は黙ってお茶を飲んでいた。
「一つ、気になることがあるの」
 先に沈黙を破ったのはお嬢様の方だった。
「あら、私も一つ気になっていることがあるの」
 姫様も同じように喋る。
「なくなったものは三つ。返ってきたものは?」
「二つ、ね。一つ足りないわ。クラウスさんは何か言ってた?」
「いえ、何も。まさか、この期に及んで、横領して返すものを誤魔化す、なんてことをするとは思えないけれど」
「そうね。少なくとも、クラウスさんは信用できるわ。あの人は、私が幼い頃からお世話になった人ですもの」
「じゃあ何。返ってこないものがある、っていうのはどういうことなの? クラウスは返すものを返した。じゃあ、クラウスとマリーではない誰かが、三つのうちの一つずつを盗っていったってこと?」
「でも、怪しい人影はなかった。あの事件があった当時、お互いの部屋に入っていたの
は、部屋の主であるそれぞれと……」
「クラウスとマリーと、そして貴女よね、お姫様?」
「そうね、お嬢様、貴女も私の部屋に来てたわよね?」
 そこまで来て、二人は同時に立ち上がった。
 お互いの胸ぐらを両手で掴む。高級なドレスが傷むのも意に介さない。
 止める者はいなかった。
 二人の壮絶な喧嘩が、そこで始まった。

「では、ありがとうございました」
「おやおや、それではもう帰ってこないような言い方ではないですか。貴女の戻るべき場所はここなのでしょう?」
「ええ、それはもちろんその通りです」
 マリーはその言葉に嬉しそうに笑って応える。
「気にすることはないのではないですか? 貴女が盗って私が預かっていたお嬢様と姫様の宝飾品、二つずつしっかりと返却しました。確かに、お二人の盗られたものはどれも国宝級の代物でしたが、あのお二人にとっては数ある宝飾品の中の一つ。あのお二人が気にしていたのは、盗られたものの価値というよりも、盗られたという事実自体にでしょう? 事件がもう解決した以上、いつまでもこだわり続けるお二人だとは思いませんが?」
「ええ、そうかもしれませんね。でも、私はやはり気にしてしまいますし、物も持っていますから」
「むむ?」
「いえ、大丈夫です。私たちだけの話ですから。では、そろそろ……」
 いい笑顔のマリー。そのブラウスの下には、揺れる一つのネックレス。長い髪に隠れるようにつけられた、髪留めは美しい輝きを放っている。
 クラウスは気付かない。
 マリーは、これ以上ない微笑みで、執事長に別れを告げる。
「では、また会える日を楽しみにしています」
 そして、くるりと振り向き立ち去った。もう二度と振り返らない。
「本当に、ありがとうございました」


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