"Ogre"

 私は醜い子だ。
 周りの誰とも違う、美しさという言葉からはかけ離れた、そんな存在。
 この醜い容姿のおかげで今まで辛い想いをしてきた。それはこれからも変わらない。今までもこれからも、私はこの容姿を理由に仲間から蔑まれる。
 こんな姿でこの世に私を産み落とした父と母を恨んだ。いや、恨んでいる。昔と変わらず今もずっと。
 父親はこの集落の長だ。首長の娘が醜く、敵を連想させるようないびつな形をしてい
る。それが父にとっては我慢ならなかったのだろう。私は幼い頃から父から遠ざけられ育てられた。育ての親を名乗る二人からも迫害された。私は生れ落ちてから居場所がなかった。
 母親は私が誕生した直後に死亡したらしい。らしいというのは、そうとしか育ての親から聞かされていないからだ。墓の場所も知らない。墓があるのかすら知らない。父が母を愛していたのかすら知らない。私は母の何も知らない。
 だから自然と、私の恨みの矛先は母ではなく父へと向けられていった。私にとって母親とは概念上だけの存在であり、そういったものが存在するということを他者のそれを眺めることでしか知らない。育ての親は、親と呼ぶのもためらわれた。私を傷つけることはしなかったが、私の存在を認めようともしなかった。疎まれることで、育ての親からは心への傷を受け取った。
 実の父親から受け取った体の傷と、育ての親から受け取った心の傷。
 周囲より数が多かろうと、私が親から貰ったものはたった二つだけだった。

 私は鬼子であるらしい。なんだか皮肉な話だ。
 父の容姿は遠くから眺めることで知っていた。私の体で父から受け継いだものなどほとんどない。では母親が私と近い存在だったのかといえば、それを確かめる術はない。私は母親のことをほとんど知らないし、知っている人間から聞くことなどできない。
 ただ、鬼子と、そう囁かれている。
 幼い頃は良かった。正面きってからかってくるだけで、それを相手にしていればよかった。目の前で自分を嘲笑う相手しか目に入らなかった。だが、今は違う。正面きって言ってくる者など数人で、それ以外の人間は私を見て、その内容が聞き取られぬよう囁くだけだ。
 しかし、私は知っている。私は鬼子、そう囁かれている。
 鬼子。親に似ぬ子。なるほど、相応しい。
 だが、あの父親は鬼そのものだ。私が知っている数少ない母の話の一つに、父に見捨てられ命を落とした、ということがある。病弱だった母は、出産直後の衰弱し切った状態で父に捨てられまもなく息を引き取ったそうだ。
 父は鬼。鬼の子である私は鬼子。当たり前のことだ。
 そして同時に、私は先祖返りらしい。集落のはずれの爺さまが言っていた。
 先祖返り。帰先遺伝。
 はるか遠い先祖が持っていた形質が突然発現すること。要するに、私のご先祖様の少なくとも一人は、私と同じ醜い容姿をもっていたらしい。
 そんなこと言われても、嬉しくもなんともない。いくら大昔に同じ容姿をもった人間がいたところで、今私が醜い存在であることに変わりはないのだから。励ましにならない。
 でも、爺さまの言葉が耳にこびりついて離れない。
「先祖返りが何の意味もなく生まれるはずがない。お前はこの里にとって、誰よりも重要な存在なのかもしれぬ」

 あの日、爺さまに「先祖返り」の話を聞いてから、私の中で何かが変わった。
 周囲の声は相変わらず聞こえてくるが、あまり気にしなくなった。結局のところ、それは私の心の問題だったのだろう。
 あまり後ろ向きなことは考えなくなった。あれほど憎んでいた父親のことも、今は思い悩むことも稀だ。
 少ないが友人もできた。私と同じように、里ではみ出し者とされている連中だ。規律を守れぬと言えば聞こえは悪いかもしれないが、誰も気のいい奴らばかりだった。
 その一人に「先祖返り」のことを相談した。一緒に悩んでくれる者がいることが、私にとっては何よりも嬉しいことだった。
 しかし、その会話の中でどうしても一つ、私の心にひっかかったことがある。
「家系図に、お前の一族の秘密があったりするかもな」
 考えもしなかった。
 私の家はこの里が興ってからずっと長の役目を果たしてきたと聞いている。ならば、その一族に、どうして異種族の、それも長きに渡る宿敵の形質が受け継がれているのか。
 今は落ち着いているが、数十年前まではこの里の者も戦をしていたと聞いている。それも、この里が興るはるか以前より続く種族間の戦いなのだ。その途中で、相手の血が混ざる。普通に考えてもありえぬ話だ。
 疑問は探究心を刺激した。
 知ってどうなるという話ではない。だが、私は私のルーツとなる存在のことを詳しく知りたかった。
 実の父親でも育ての親でもない、遠い昔に生きたその者こそが自分の真なる親であるかのように。

 そして今、私は私が生まれ落ちた屋敷の蔵に忍び込んでいる。
 まるで泥棒のようだと自分でも思う。だが、正面から訪ねて家系図を見せて欲しいと
言っても、素直に見せてもらえるとは思えなかった。門前払いが関の山だろう。
 ならば、下手な詮索をされるよりはと、忍び込むことを決意した。首長の屋敷といえども、厳重な警備体制が敷かれているわけではない。周囲に気を配りさえすれば、誰にも見つかることなく目的を達成することができる。
 蔵になければ首長である父の部屋かどこか、屋敷の内部ということになる。そうなれば忍び込んで盗み見るということは不可能に近い。希望の意味も込め、まっすぐに蔵を目指した。
 鍵がかかってないことは事前に確認してある。閂さえ外せば中に入ることは容易い。あとは見回りの人間が外れた閂に気付く前に家系図を探しだせばいい。
 蔵の中は真っ暗で、はるか頭上にある格子窓から差し込む月明かりも蔵の上の方を照らしているだけだ。夜目が利くとはいえ、この中で家系図の内容を確認するのは難しいかもしれない。あまり気は進まないが、一度持ち帰ってあとで返しにくるしかないか。
 それにしても、と心の中で呟く。さすが首長の家だけあって、様々なものが転がっている。戦で使われたであろう槍や鎧、何に使うか分からぬ筒や籠、金箔で装飾された木箱が無造作に置かれているのはいくらなんでも無用心すぎないだろうか。それとも、この程度の装飾では何の価値も見出せない程なのだろうか。
 蔵の奥まった場所に文献の保管された棚が見つけた。
「あった」
 思わず言葉が漏れた自分の口を慌てて塞ぐ。
 静寂。
 蔵の外からは何かが動く音は聞こえてこない。一安心。
 文献はすべて室内にあるかもしれない、という不安があったから、書架の発見は何より嬉しかった。
 やはりというか、書類などは一箇所に固められていた。郷土史や里の歴史などに混ざって、家系図が並べられていた。だが、一冊ではない。三冊に分けられている。
 考える。この場所から三冊もの文献が抜け落ちていることを、いつ誰が気付くかということを。
 危険な賭けだ。入り込んだ者が賊であるならば、家系図よりも具足などの価値のあるものを持ち出すだろう。家系図だけを欲する人間を想定する時に、父の頭に私の名前は浮かぶだろうか。
 二律背反な希望を振り払う。
 まだ父に認められたいと思っていた自分に驚いた。そんな感情はとうの昔に消え去ったと思っていた。
 周囲の書物をずらして隙間を埋める。これで少しは誤魔化すことができるだろう。
 ここを訪れた時点で答えは既に出ている。持ち帰る以外の選択肢は用意されていない。
 家系図を持ち出す以外の痕跡を残さぬようにして蔵の扉を目指す。出る時に気付かれさえしなければ、家系図を見るという目的は半ば達成されたようなものだ。
 その時、蔵の外で音がした。人の気配と声。息を殺して全神経を外に集中させる。すぐそこにいることは間違いない。
 蔵の扉に手がかけられた。気付かれた。
 私は慌てて具足の山の陰に隠れた。
 心臓の音がやかましい。息が荒くなる。
 大丈夫、この場所なら入り口からは死角になって見えない。
 扉が乾いた音を立てて開く。
 暗かった蔵の中に、熱を伴った火の明るさが入り込む。
「誰か、いるのかぁ?」
 間の抜けた声が蔵の中に響き、消える。
 聞き覚えのある声。知っている。これは、私の弟の声だ。生まれてから、数える程しか話したことのない弟の。
 蔵の入り口で火をかざしたまま入ってくることはない。
 話したことはないが人となりは知っている。私の弟は、虫も殺せぬような優しい男の子らしい。
 ならばいっそのことここで姿を現して、実の弟と感動の対面と洒落込んでもいいかもしれない。そんな考えが一瞬浮かんだが、すぐに掻き消した。優しい弟が自分の家族から追放された鬼子にも優しいとは限らない。叫び声でも上げられたらそれでお終いだ。
 火を左右に軽く振った後、「なんで蔵の鍵が開いてたんだろぅなぁ」と呟いて弟は蔵の扉を閉めた。
 ほっと胸を撫で下ろす。
 扉の外で閂を落とす音がした。
 しまった、と思った時は既に遅し。閂が外から外せるなら閂の役割は果たさない。
 私は蔵の中に閉じ込められた。
 どうする?
 まだ弟は蔵の近くにいるはずだ。声を出せば聞こえるかもしれない。いや、駄目だ。それで父や兄を呼ばれれば最悪の事態になりかねない。それに、その声を他の誰かに聞かれでもしても終わりだ。外の状況がはっきりとしない今、下手に声を上げるわけにはいかない。
 蔵の中に静寂が訪れた。
 考えるしかない。誰にも気付かれずに脱出する方法を。もし弟が蔵が開いていたということを誰かに報告したならば、蔵の中をすみずみまで捜すということをするかもしれな
い。一人では怖いから、誰かと一緒に戻ってくる、という可能性がないわけでもない。
 一刻も早く、この場所から立ち去らなければならないことに変わりはないということ
だ。ただし、蔵の扉には既に閂が落ちている。状況はこれ以上ないくらい悪化している。
 蔵の中は月明かりが差し込み完全な闇ではないことが、私を冷静なままでいさせてくれた。闇は人の心を恐怖で支配するということを、以前何かの文献で読んだことがある。夜や闇が克服するべき対象として捉えられるのは、そういった人の恐怖に対する畏れがあるからだろうか。
 閂が落ちた扉から出ることが不可能な今、閉じ込められた現状を打開する術があるとすれば、天井すれすれにある小さな格子窓だけだろう。
 幸い、窓のすぐ下まで棚が積みあがっている。格子窓を調べる足場も揃っている。三冊の家系図を風呂敷で腰に巻きつけると、棚を壊さぬよう気をつけながら、窓の下まで飛び移った。
 下から見ただけでは分からなかったが、窓は私が通り抜けるには十分な大きさだった。これならすぐにでも脱出できる。
 格子に手をかける。軽く手を回すと、格子は簡単に外れた。そうやって、自分が通れる幅の分だけ外し、顔を出して外の様子を窺った。
 静寂と闇。
 見回りは明かりを持っているだろうからいればすぐに分かる。月が出ているとはいえ、蔵の格子窓から出てくる影を見ている人間など誰もいないだろう。
 格子の間に体を通し外に出る。腕で衝撃を和らげ着地する。騒ぎが起こっていないところを見ると、目撃者はいないのだろう。
 上手くいった。あとは屋敷の外に出るだけでいい。
 屋敷の塀を飛び越える。妙に清々しい気分だった。これで疑問に思っていた自分の秘密に一歩近づけるということもあるが、長く忌み嫌っていた父の屋敷に侵入し、気付かれぬ間に抜け出したという事実が私の心を軽くしているようでもあった。
 家系図を見るということだけではなく、私は変われるような気がしていた。

 事実は私が考えているよりも残酷だった。
 憎むべき宿敵の異能。肉体が脆弱な一族が用いる自己防衛の術。それを手に入れようとするための試み。それが私と同じ姿を持った先祖が存在していたことの理由だというの
だ。
 あれから何度か蔵に侵入した。
 自分の姿の根源となるべき先祖のことを知った私は、今度はその背景その先祖自身のことを知りたくなった。
 家系図を元にあった場所に戻すことは容易だった。脱出の際に利用した手段の逆をすればいい。
 そうして、家系図を返す際に別の文献を探し出し持ち出した。それは手記であったり風土記であったり戦記であったりした。とにかく、一族に関わるありとあらゆる文献に目を通した。
 その中で、気になる一文を見つけたのは、そうして屋敷への侵入と文献を読み漁る日々を始めてから二ヶ月が経過した時のことだった。
 代々、一族の男は皆頑強な肉体を持ち合わせるものだが、その手記の持ち主は生まれつき病弱であったらしい。その生活のほとんどを病床で過ごしながら、外の世界への憧れを綴り続けていた。平凡な日記だろうかと諦めかけていた頃、その一文が現れた。また、異種族間との戦いが激しい中、その持ち主はやはり病に倒れ戦線を離脱したようだった。
 集落の長である自分が置かれた苦境への恨み言に混ざり、次のような言葉が記されていた。
「奴らは肉体の脆さを異能の力で補い、我らと対等以上の戦いを繰り返している。ならば我もまた、異能の力を備えて然るべきではあるまいか」
 それから手記はその男の異種族の研究の記録へと変わっていった。
 新たな力への渇望は、男を狂気へと走らせた。捕虜として牢獄につながれていた異種族は全て実験台となり、その多くは過酷な実験の果てに生命を落とした。また、戦においても異種族の捕縛を命令し、自らの研究を進めていったようだ。
 だが、その実験は実を結ばなかった。
 当たり前だ。
 私たちがそんな技術を手に入れていたならば、異種族との戦いはとうの昔に終わっていたはずだし、異能の力を操る者が集落の中にいてもおかしくはない。私たちは誰一人として異種族の能力を有してはいない。
 唯一人、私を除いては。

 眼下の森は炎に包まれている。あそこは敵味方入り乱れた状態で未だに戦闘が続いているはずだ。
 きっかけは些細なことだった。
 集落の麓の森は不可侵地帯だ。それは数十年前の和平協定で決められたことで、互いに不可侵とすることで緩衝帯としての役割を果たすはずだった。
 そこに、私たちの集落の子どもが誤って迷い込んだ。それだけならば、年に数度はある話だ。だが、そこに同じく侵入者がいた。侵入者は異種族の狩人で、不可侵地帯であることを利用して獲物をより多く狩ろうとしていたらしい。そして、狩人の矢が子どもに怪我をさせた。子どもはかすり傷程度で済んだのだが、大人たちの気がそれで済むはずがな
い。早速使者を派遣し、異種族の不当性を主張した。
 しかし、使者は死者となり帰ってきた。それについて異種族の使者は突発的な事故であると主張したが斬殺され、私たちの集落の男手は皆武具を手にとり出撃した。二つの集落の中間にある不可侵地帯の森が主戦場となり、戦いは激化していった。
 女の私は木の上で物見をさせられている。夜だというのに明るすぎる暗き森を眺めている。
 動けない老人以外は誰もが武器を手に持たされた。子どもも多く戦場に連れて行かれ
た。
 広大な森のそこかしこで上がる火の手と大地を揺るがす衝撃が、私のいる場所からでもはっきりと分かる。あの森では、地獄が広がっているのだろう。
 今まで、お互いがお互いで幸せに暮らしていたのではないのか? 何故、傷つき苦しむ選択を取らなければいけない?
 理解できぬ現状への嘆きは、涙と共に零れ落ちた。
 女でも戦う力のあるものは戦いに赴いている。今、この村で戦える者は誰もいない。私が集落の前で敵を発見したとしても、それに対抗する術はこの集落には存在しない。
 嫌な予感がした。
 数人の集団が木々の中を動いていた。その一人が、私に矢を向けているのが見えるの
と、風を切り裂く音が耳に届いたのはほぼ同時だった。矢は、私が立っていた木の幹に突き刺さった。頬を一筋の血が伝う。
 私は突き刺さった矢を引き抜くと、第二射を放とうとしている男へ目掛け投げつけた。相手が弦を引くより早く、私の放った矢は正確に射手の右肩を貫いた。
 射抜かれた男が矢の衝撃で吹き飛ばされるのと同時に、二人の男が私の左右につけた。相手は三人、うち一人はしばらくは戦えまい。
 男の一人が腰の短刀を抜き放つ。鈍い輝き。刃物の持つ独特の光はどうしても好きになれない。
 その向こうで、私の背丈と同じくらいの岩がゆっくりと持ち上がった。もう片方の男は指で印を組んでいる。これが、私たちがいうところの異能の力なのだろう。直接見るのは初めてだったが、屋敷の蔵にあった文献の中には異能の力に関する記述が山ほどあった。何より、私がこんな姿であることの理由を作った男が、数百人にもわたる人体実験で異能の力を体系化している。穴が開くほど文献を読み続けた私にすれば、どんな能力であろうとある程度の予測はすぐに立つ。
 岩がまっすぐ私に向かって来るのと、短刀を持った男の姿が消えるのは同時だった。
 念動力の使い手は本体を押さえればいい。本来、前線で戦うべき能力ではないのだ。
 岩を避け念動力使いの後ろに回りこむ。拾い上げた矢を一本、男の首筋にあてがった。
「岩を下ろして」
 できるだけ冷酷に聞こえるように、感情を込めずにそう囁いた。それだけで、巨大な岩は制御を失い地面に戻った。
「あなたの仲間がどうなってもいいの?」
 もう一人の男に向かって言ったつもりだった。反応はない。
「気配を消す力でしょう? でも、私は勘がいいのよ」
 持っていた矢を木に向かって投げつける。矢筒からもう一本矢を取る。
 同じ場所にもう一度投げつけようとして、木の陰から男が出てきた。先ほど投げた矢
は、男の頭と寸分違わぬ高さで、その木を掠っていた。
「命を取る気はないわ。今すぐここから立ち去って」
 念動力使いにそう告げる。反応はなかった。
 視界の向こうで、先ほどまで動いていた岩が再び宙に浮いた。
「ば、馬鹿な。私はなにも……」
 驚いたのは男の方だ。男は両手で特殊な印を組まない限り、異能の力を発揮できないようだった。
「これくらいなら、私にだってできる。貴方たちでは私に敵わない」
 男はここで始めて、その口を開いた。
「……お前は、何者だ?」
 そんなことは私にだって分からない。いくら過去の文献を調べ、私の根源となる情報を得たとしても、それが直接私の正体につながっているわけではない。結局、私は、私が何者なのか、分かっていなかった。
「あの身のこなし、その力……、化け物め」
 矢を持った指に力をこめる。矢の先端が首の皮を切り、赤い血が首筋を流れ落ちた。
 ひっ、と空気の詰まる音がした。恐怖の音だ。
 私は夜の闇と同じだ。人に恐怖を与え、この容姿は克服すべき対象に他ならない。
 何より、かすかな希望を持っていた。
 私の容姿は、この異種族の人間たちと同じはずだ。それは、生まれて初めて対峙したこの男たちの姿を見ても明らかだろう。もしかしたら、と考えていた。もしかしたら、私は異種族たちになら受け入れてもらえるのではないか、と。
 だが、その夢はやはりただの夢でしかなかった。
 現実を見れば、私はどちらにとっても夜の闇でしかない。恐怖を纏う鬼子だ。
「……失せろ、今すぐだ」
 そう告げて、木の陰から出てきたもう一人の方に男を押しやる。
 二人の男は私の方は見もせずに一目散に逃げていった。
 集落への侵入者は撃退した。これで、私たちの村も破壊から免れることができる。
 戦いは集結へと向かっているのだろうか。長引けばそれだけ被害が大きくなる。麓の森を見る。戦闘はまだ続いているようだった。だが、私にできることなど何もない。この場所にいて物見をすることが、私の使命なのだから。
 辺りを再び静寂が包み込んだ、わけではなかった。
 うめき声がかすかに聞こえた。男の声だ。
 声の主は、先ほど矢で肩を貫かれた男だった。肩を砕かれ、苦悶の表情を浮かべてい
る。
 いくて敵意があったからといってやりすぎただろうか。心配になって近づくと、男はそれを察し立ち上がろうとした。だが、立ち上がることはできずに、その場であお向けになって倒れこんだ。
 全身で荒い息をつく。苦しそうだった。
「……殺して、くれ」
 男の声だった。私を、矢を投げつけた本人だと理解した上でそう言っていた。
「頼む……。この傷では、帰れぬ……」
 息も絶え絶えにそう喋る男に、私は一歩ずつ近づいていった。
 肩の肉は滅茶苦茶になっている。このまま止血しなければ失血死するだろう。それだけの力をこめた。当たり前だ。
「殺せ。私も、お前たちの同胞を殺してきた。お前は私を殺す権利がある」
 ふと、疑問に思う。殺す権利とは一体誰に与えられた権利なのか。この男は私の同胞を殺したと言った。確かに、そう考えれば殺されても仕方のないことをこの男はしてきたかもしれない。だが、私は殺された多くの仲間たちから、同胞扱いなどされたことはただの一度もない。いつだって、私は異端児であり鬼子だった。では、私に同胞の仇打ちという名目で、この男を殺す権利は果たしてあるのだろうか。
 男の顔を覗き込んだ。
 異種族の男。今日生まれて初めて見た。そして、こうも至近距離で顔を見ることなど、この先そうはないだろう。しっかりと、見ておいても損はない。
 痛みに顔を歪ませながらも、男は私を見た。
 驚き。そう、誰もが私の顔を見て最初に抱く感情だ。そして、驚きは次第に憎悪へと変わる。異種族の男とて例外ではないだろう。
 しかし、男は驚いたままだった。
 ただじっと、私の顔を見つめている。
「お前は、なぜ……?」
 その質問は今日二回目だった。とはいえ、答えなど出はしない。
 この男が不思議がっても仕方のないことなのかもしれない。異種族の女が自分たちと同じ容姿をしている。そして、自分を攻撃してきた。それだけでも、頭の中に混乱を呼ぶには十分だろう。
「私は……、私たちは、お前たちは醜く、好戦的で、野蛮な生き物だと、教えられてきた……」
 その言葉は私に向けられた言葉なのだろうか? それとも他の誰か、遠く離れた故郷にいる愛しい者への別れの言葉なのだろうか? 私には判別つきかねた。黙って続く言葉に耳を傾けた。
「だと、いうのに……、なぜ、そんなにも……」
 どうしてそうしたのかは分からない。
 ただ、私はより男に顔を近づけた。
「……お前は、美しいのだ?」
 一瞬、何が起こったのか分からなかった。
 最後の一言は、はっきりと耳にしていながらも、その言葉の意味をしばらく理解することができなかった。
 男は意識を失い、体を草むらに沈み込ませている。
 美しい? 私が?
 理解できるわけがなかった。
 美しいなど、他の誰かにかけられるべき言葉であって、私にかけられるものではない。
 私は醜かった。
 皆が頑強な肉体と立派な角を持ちながら、私はこの男のような柔らかな肌をし、角も申し訳程度に額にあるだけだった。それすらも、今は前髪で隠している。象牙色の肌の色も許せなかった。赤褐色の肌をした仲間たちに何度羨望の眼差しを向けたことか。何より、自分だけ違うということが悲しかった。
 明らかに違う、異質な存在の自分。
 皮肉な話だ。鬼子である私が、もっとも鬼からかけ離れた存在だなんて。
 その私を、美しいという。
 同じ仲間が化け物と呼んでおきながら、この男は正反対の言葉を口にした。
 それは私にとって、生まれて初めてかけられた誉め言葉だった。
 感慨はない。
 ただ、この男がそう言った理由と、胸の中に広がる暖かいものの正体を知りたかった。
 しばらく考えて、私は男を担ぎ上げた。
 この男が目を覚ましたら、私の疑問に答えてもらうつもりだ。もちろん、この男を殺す権利についても、だ。
 だから、それまでは殺す必要はない。
 それに、もしこの男の言う通り、私がこの男を殺す権利があるというならば、殺さない権利もまたあるはずだ。
 爺さまに薬を調合してもらおう。そして、今の話も聞いてもらおう。この男に答えを聞く前に話をしてもらおう。
 傷に障らぬようにして歩き出した。心なしか、足取りが軽いような気がしたが、それは気のせいだろう。


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